阪神タイガース界隈では昨秋、とっておきの朗報に安堵の声が飛び交っていた。国内FA権を取得していた近本光司が早々に球団と5年契約を結んだのである。代えが効かない絶対的リードオフマンの去就は当然、チームの浮沈に直結する。坂本誠志郎は長年苦楽を共に ...
「バットを振る力、飛ばす力、スピード……。その上、ソフトバンクの選手たちは皆、めちゃくちゃ頭も使っていました。それに対して、僕たちは野球選手としてのシンプルな能力が足りなかったんです」 ...
1977年シーズン、広岡率いるスワローズは球団史上初となる二位でシーズンを終えた。懸案の先発ローテーションについては、安田猛が17勝(16敗)、鈴木康二朗が14勝(9敗)、会田照夫が9勝(9敗)と期待通りの活躍を見せ、ルーキーの梶間健一が7勝と奮闘、 ...
チームリーダーとして白羽の矢を立てた若松勉に、さらなる自覚を促すことによってチームに一本の柱ができた。同時に「レギュラー選手といえども安穏とできないのだ」という緊張感がスワローズナインに広がることとなった。そしてこの年、若松は張本勲との激しい打率争い ...
2007年秋、NPBで4球団目となる中日から戦力外通告を受けた三澤さんはある決心を固める。それは、長年憧れていたメジャーリーグを目指し、アメリカに渡るという新たな挑戦だった。
2001年6月、三澤さんは2対2の交換トレードで巨人から近鉄に移籍した。「当時は、自分はジャイアンツに必要ないのかと寂しい思いだった」という電撃トレードだったが、その悔しさを力に変えてくれた言葉があった。
三澤さんが早稲田大学からドラフト3位で巨人入りしたのは1997年のこと。故・長嶋茂雄氏による第二次政権の監督5年目。西武から清原和博内野手がFAで加入し、松井秀喜外野手との「MK砲」が注目を集めた華やかなりしジャイアンツ全盛期だった。
「梶山さんはストレングス(筋力やパワー)に精通した方で、現在の大きな肉体を手に入れることができたのは、梶山さんのプログラムの成果だと思います。そもそも、彼にとって大きかったのは“5年契約”を結んだことだと思います。私生活も含めて環境が大きく変化する中 ...
京都府出身。小学1年生のころ、夏の甲子園で準優勝した平安高校(現・龍谷大平安)を見て野球を始めた。父・佳和さんが野球部のトレーナーを務めていたこともあって身近な存在だった。プロ野球選手になるより甲子園で活躍したい。そんな思いで平安野球部の推薦 ...
1月30日に来春のセンバツ出場校が発表される。近畿枠では奈良の公立進学校である郡山高が候補校に選出されている。例年、京大・阪大をはじめとした難関大に合格者を出す名門校で、昨秋大会では県大会でベスト4に入るなど活躍を見せた。躍進のウラにはどんな ...
1月30日に来春のセンバツ出場校が発表される。近畿枠では奈良の公立進学校である郡山高が候補校に選出されている。例年、京大・阪大をはじめとした難関大に合格者を出す名門校で、昨秋大会では県大会でベスト4に入るなど活躍を見せた。躍進のウラにはどんな ...