1982年(昭和57)の名人戦で加藤一二三・九段(42)は中原誠名人(34)に挑戦。将棋史に残る10局(持将棋と千日手を含む)もの死闘の末に4勝3敗で破り、初の名人位を獲得した。最年少記録の18歳でA級に昇級し、「神武以来の天才」と称された加藤が悲願 ...
当時20歳だった加藤新名人誕生の期待が高まった。しかし大山は第3局で逆転勝ちすると、一気に反転して4勝1敗で防衛した。第5局では剣豪小説で知られる作家の五味康祐が観戦記を担当し、「盤上に血の雨が降るような壮烈な戦いを書きたい」と言ったが、一方的な内容 ...
阪神タイガース界隈では昨秋、とっておきの朗報に安堵の声が飛び交っていた。国内FA権を取得していた近本光司が早々に球団と5年契約を結んだのである。代えが効かない絶対的リードオフマンの去就は当然、チームの浮沈に直結する。坂本誠志郎は長年苦楽を共に ...
2007年秋、NPBで4球団目となる中日から戦力外通告を受けた三澤さんはある決心を固める。それは、長年憧れていたメジャーリーグを目指し、アメリカに渡るという新たな挑戦だった。
アラビアの大地に涙があふれた――。昨年暮れ、3階級制覇を目指してサウジアラビアに乗り込んだ寺地拳四朗の試合は、IBFスーパーフライ級王者、ウィリバルド・ガルシアの体調不良により試合前夜、急遽中止が決まった。翌日、会場に現れた寺地は集まった記者に対応し ...
「勝つしかない」と、ハリー・ケインは言う。W杯で優勝しない限り、「ネガティブな雑音は消えない」のだと。昨年12月中旬、メディアで報じられた、イングランド代表主将の発言だ。確かに、母国のムードを端的に表現すれば、「優勝だ!?」と、感嘆符とともに疑問符が ...
1981年8月13日。この日は、30年ぶりの甲子園を戦う長崎西高にとって、忘れたくても忘れられない夏の記憶となった。初戦となった2回戦で、名古屋電気(現・愛工大名電)の工藤公康が立ちはだかったのである。
「キリアン・エムバペにはふたつの目標がある。ひとつはキャプテンとして、自身2度目となるW杯優勝にフランス代表を導くこと。もうひとつはミロスラフ・クローゼが持つ16点というW杯通算得点記録を破ることだ。リオネル・メッシも通算13点でクローゼに迫っている ...
将棋クラブに通って腕を上げた加藤は、小学6年の夏休みに京都の親類宅に遊びに行くと、将棋大会に参加して審判長の南口繁一八段に指導対局を受けた。南口は加藤の豊かな才能と落ち着いた態度を見込み、親と加藤に棋士を目指すことを勧めた。
今年3月に行われるWBCの日本代表メンバーが発表された。初選出となったのが27歳の種市篤暉投手だ。高校時代は甲子園出場経験もなく、ドラフトも下位指名。しかもそこからトミー・ジョン手術も経験という苦境を経ての覚醒はなぜ起きたのか。「無名時代」の ...
今年3月に行われるWBCの日本代表メンバーが発表された。初選出となったのが27歳の種市篤暉投手だ。高校時代は甲子園出場経験もなく、ドラフトも下位指名。しかもそこからトミー・ジョン手術も経験という苦境を経ての覚醒はなぜ起きたのか。「無名時代」の ...